2015.07.01イタリアのマエストロ ピエルルイジ・ギアンダ氏を偲んで
© Pierluigi Ghianda
2015年6月9日に急逝されたイタリアの木工の神様、ピエルルイジ・ギアンダ氏に心から哀悼の意を込め、
神の手から生み出された素晴らしい作品の数々を追悼特集いたします。
プロダクトから溢れ出る木への愛情、デザインのインスピレーションなど、ギアンダ氏が残してくれたものに感謝と敬意を表し、
カッシーナ・イクスシーではこれからもボッテガ・ピエルルイジ・ギアンダのプロダクトの素晴らしさをご紹介していきます。
PRODUCTS
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Vassoio(1979)
トレー
ペア材 S: W300×D150×H70
M: W400×D300×H70
L: W500×D380×H70 ペア材+黒檀 S: W160×D160×H35
M: W260×D180×H40
L: W410×D310×H70
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Squadretta(1918)
定規
45° : W250×H180 30°/60° : W250×H150
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Etagère(1989)
シェルフ
W480×D430×H1730
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Portariviste pieghevole(1990)
フォルディングラック
W750×D250×H570、 W200×D250×H770(折畳時)
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ピエルルイジ・ギアンダ略歴
イジニオとセラフィナ・メルカンダッリの息子として生まれる。ギアンダ家は高度な木工・家具職人として、ブリアンツァの中心にあるBovisioで1889年より活動していた。
1938
イジニオが亡くなり、妻のセラフィナが工房を切り盛りする。1946年にピエルルイジと兄ジュゼッペは、オフィス家具の生産を拡大。
1967
兄ジョセフの死後、ピエルルイジは妻のフランチェスカと共に、時の偉大なデザイナーたちとの共同制作を始める。工房を現在のVia Desio 53に移転。
1972
ジャンフランコ・フラッティーニとの公私にわたる実り多き親交が、日本への旅を機に深まる。ピエルルイジの職人技とフラッティーニの妥協を許さない頑固さが、KyotoテーブルやPortofinoキャビネットのような代表作を世に送り出すこととなった。
1986
エルメスのデュマ家との親交が始まる。それは共に品質と洗練への終わりなきこだわりと追求と情熱を常に持ち、つき動かされているという点で共鳴する関係であった。
偉大なデザイナーたちとプロトタイプやオブジェを製作し続ける一方、ピエルルイジは個人顧客やオフィスの一流家具の製作に時間を割いた。モスクワ、ニューヨーク、パリで数多くの重要な国際的経験を積んだ。
2010
イタリア他海外での滞在を経て、娘ベアトリーチェがピエルルイジの仕事に従事し始める。ブレラ地区にあるコンサドーリ・アート・ギャラリーでは、彼の経歴の中で最も重要なマイルストーンとなった作品をセレクトした展覧会を開催。ピエルルイジ・ギアンダと彼の工房の新たな時代の幕開けが告げられた。
2012
スタジオラボとのコラボレーションにより「木にサインする男」というドキュメンタリーが制作される。ブリアンツアのキャビネット職人の足跡が詩的に描写された秀作。
2013
サローネ期間中、ピエルルイジ・ギアンダへの敬意を込め、「行うことは考えること」と名付けられた展覧会がミラノのトリエンナーレで開催され、同アゴラシアターでドキュメンタリーの公式上映が行われた。
2015年6月9日 満88歳で没。



逸話
<Kyoto テーブルのアイディアはどのようにして生まれましたか?>
「1974 年ミラノ建築家協会主導のもと、日伊のデザイン文化の交流を目的として組織された旅の際、京都で着想を得たため名付けた。」
この旅を機にピエルルイジ・ギアンダとジャンフランコ・フラッティーニの長年にわたる深い友情が生まれました。そのきっかけはある口論でした。建築家のフラッティーニが「こんな緻密な手仕事はできないし、イタリアではこのようなことはしない」と言ったのに対し、「誰も頼んで来ないからやらないだけであって、イタリアと日本の職人の技術は似ている」とギアンダ氏は明言しました。そして旅の帰路、二人はともにプロジェクトに着手し始め、度重なる試行錯誤の上にテーブルは誕生。今日にいたるまで長年にわたりギアンダ工房は生産を続けています。
<ピルケース>
「工房ではフィアットのオーナー、ジャンニ・アニエッリの妻のマレーラのためにピルケースを作り始めた(製作には時間がかかる上に工程が複雑。商業的に割が合わないため、数年の中断の後の再生産だった)。ある時彼女が工房を訪れた際、プラスチックのピルケースから薬を取りだしたのに気付き、それが彼女のような身分の女性には全くもって不釣り合いだった為プレゼントの一つとして作ることを決めた。
今なおピルケースは作り続けており、現在年に4、5 個は生産している」
<ギアンダ氏と日本>
工房にあるデスクの後ろの棚には、木工でできた神社の境内のミニチュアが飾られていました。そこには日本製の小さなカンナが二つ残されており、ギアンダ氏はそのカンナを使って木を削り検品されていたとのことです。改めてギアンダ氏と日本との深い繋がりを感じます。
2013年6月28日 ギアンダ氏ご本人が来日され、トークセッションを行った際の映像です。